星とたんぽぽ
こんばんわ。
おこころざし.com スタッフの岩崎です。
東日本大震災により、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
被害を受けられました皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
わたし、岩崎の父は山形県、母は秋田県の出身で。
震災の被害はなかったものの、同じ東北での出来事でもあり。
少し心が沈む季節です。
当時、震災の関係でのお香典へのお返しも承りましたが、
心が痛くなるような案件があったのを思い出します。
もうひとつ、心沈む時期が11月です。
じつは、うちは母が、他界をしておりまして。
わたしも、家から葬儀を出した経験があります。
もう、今年で30年立ちます。
母は、元気にしていたんですが。
少し、血圧が高いかな、と思っていたら
夕方、突然倒れ、病院に担ぎ込んだのですが。
翌日の昼には亡くなりました。脳卒中でした。
生きてるうちにと、病院に呼べた母の親戚・友達は、たったひとりだけ。
私の幼なじみの、お母さんだけでした。
翌日はお通夜、翌々日告別式とありまして。
自宅での葬儀でした。
当時は、自宅での葬儀、出棺が普通でしたから。
そういえば、葬儀の時のことは、全然覚えてません。
妹がずっと泣いていたのだけ、覚えてますが。
私と親父は、どうしてたんだろうか、ほとんど覚えがないです。
非現実的すぎですから、記憶ができてないんでしょうか。
お通夜のお持たせとか、香典返しとかも覚えがありません。
このときに、本当にいいお坊さんを紹介してもらって。
草加市にある、白蓮寺、のご住職。
お経をあげてもらい、戒名をいただき。
今でも、長い付き合いをさせてもらってます。
さて。
覚えている、一番ショックだったことは、
私の場合は葬儀のあとでした。
葬儀が終われば、親戚も帰る。誰もいなくなる。
家の中に、家族3人だけ。
「これから、どうするのか?」
これが、一番ショックでした。
母のいない生活は、まったく考えてませんでしたから。
3人とも。
親父は、大工職人。
妹は、スポーツ大好き高校生。
で、私は大学生。
この3人。
しかたない・・と、
自分が、「家事」全般をやるしかありませんでした。
やるしかない・・ではなく、
「やったことがない」レベルでしたから、当時は。
これ、かなりハードでした。
落ち込んでばかりいられないのが現実でした。
さて、困ったことは、当然「料理」
これができないと、どうにもならない。
困った・・・ので、相談しました。
幼なじみの女の子に、電話。
「じつは、こんなわけで、どうすれば?・・・」
「野菜炒めから作りなさい!」
「はい??」
「外食とか、出来合いばっかりじゃダメだから。
ちゃんと、野菜をとりなさい!」
「わかりましたぁ・・」
と、ここから私の料理当番人生のはじまりでした。
まったくの、我流で。
料理雑誌を買ってきたりとか。
マンガ「包丁人味平」をみながら、カレーを作った憶えがあります。
タマネギなど、真似して切り方を覚えました。
この時期のことを思い出そうとしても、いまや記憶がなく。
いったいどうやって、食事を提供していたんだろうと。
学校の帰りに、「サミット」で買い物をして帰るんですが。
いったい何をあんなに買い込んでいたのだろう・・と不思議です。
長くなってしまいましたが、わたしも、こんな経験をしておりまして。
お困りのお客様にはできるだけのお手伝いをさせていただければと思っております。
最後に。うちのお寺、白蓮寺のご住職は、法要やお彼岸のお経のあと、
法話の前に、「詩」を朗読してくれます。
印象に残って覚えているのは、金子みすゞ「星とたんぽぽ」ですね。
ちょうど、今宵は新月。月が見えない朔夜、です。
見えないけれども、ちゃんと月が存在する、という夜です。
今年は毎日、寒暖の差が大きいようです。
どうか、みなさまも調子を崩されませんように、ご自愛くださいませ。
東日本大震災により、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
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